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2015年4月10日 (金)

闘病生活がつらかった

しばらく病気で入院した。

入院や手術はこの年まで経験がなかったので、記念に少し書き留めておく。



病名はあれなので伏せておく。

最初の日はちょっと腹痛がしたくらいで、病気とは思わず、全く気にしなかった。

ネットで調べると弱い腹痛がしばらく続く人もいるとあった。



私の場合、次の日の早朝から、腹痛が恐ろしいレベルで襲ってきた。

吐き気もすごく、ずっと寝室とトイレを行ったり来たり。

食欲や"ダンゴムシ欲"もなく、ずっと腹痛に悶え苦しんでいた。

ダンゴムシ欲がない状態は経験したことがないので、自分で自分の体調の悪さにびっくり。



結局、死の危険を感じて、その次の日に病院に行った。

外気に少し触れたら、寒気がして体の震えが止まらなくなった。

悪寒というのも初めてだったので、びっくり。

歩くのが大変だったが、なんとかたどり着いた。



顔色が悪かったらしく、ベッドに寝かされ、人生何回目かの点滴。注射が痛い。

しかし、これから経験する痛みを考えると、注射の痛みなんぞほんの序の口であるが、このときは知る由もなかった。



検査が始まった。

看護師が体に何かを当て、調べていた。

看護師達がコソコソと話している。「…これはアレだね」「うん、そうだね」

怖いんだけど。



診断の結果、入院決定。

最近忙しいのだが、そんなことより体を早く何とかしてという気持ちだった。



最初の治療は、点滴に抗生物質を混ぜて、様子を見ることだった。

数日経って、結局治らず。

そして手術をすることになった。



手術内容は、昨年ある病院で医療事故で何人か患者が死んでいる話題の?方法。

このときは手術したらすぐに痛みから解放されると思っていた。

この考えが甘かったことを術後に思い知る。



全身麻酔がかけられた。そのときだんだん物が二重に見えるようになって、おもしろかった。

手術後、目が覚めたら、手術の傷跡が痛い。

さらに、あの尿道カテーテル。(名前は後で知る)



手術跡の激痛+尿道カテーテルの違和感+酸素マスクの不快感

で最悪…

かと思ったら、さらに地獄が待っていた。



一晩経ち、尿道カテーテルが外されることになった。

一瞬でさっと外してくれたのだが、超超超超痛い。

ここが一番の谷でした。

トイレで用を足すのも激痛でなかなかできなかった。



何日か経って徐々に復活。

手術跡はしばらく痛かったが、尿道の痛みは治まっていった。

しかし、まさかの別方向のダメージが到来。



実は入院時に看護師さんと話をしていて、

うろ覚えだが、ある看護師に「何の職業ですか?」と聞かれた。

「働いてないです。」と正直に答えた。

この会話はどうやら他の看護師に伝わったらしい。



そして手術後、別の看護師に「なんで働いてないの?その年ならみんな働いているでしょ?」と言われた。

私「そ、そうですね(汗)」

…おっしゃるとおりである。現実を見ると、看護師も自分より若い人が何人もいるし、友達もみんな働いている。

看護師「そんな年なのに働いていないなんて、結婚とかどうするの!うちの子にはそんな人生歩ませられません!」



日ごろ親に言われていることを、まさかここで言われるとは。

正論なので何も言えませんでした。

誰か雇って



術後も、何度も注射をされた。

点滴の時、チューブに空気が入っていて、ちょっとだけ空気を血管に入れられた。

血管に空気の泡が混ざるのは、危ないのではと思った。(潜水症とかあるし)

調べたら少しぐらいなら大丈夫らしい。ほっとした。



退院時は食欲も戻り、無事ダンゴムシも探したくなった。

結局、1週間以上も入院していた。

生きて帰れてよかった。

周りに大迷惑をかけ、今でも影響は残っている。




だいぶどうでもいい記事でした。

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コメント

おお・・・お疲れさまです
いい仕事、きっと見つかりますよ!

投稿: ps | 2015年4月11日 (土) 10:12

見つけたいですね。

病気には気を付けて。

投稿: だんだんダンゴムシ | 2015年4月25日 (土) 11:50

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